時々、頭を整理しないと自分がグチャグチャになるんです(笑
ジャンプの内容含むことをうっかり書いてるかもしれないので困る方はバックで~
兄が生涯かけて守ろうとした木の葉を恨んでるサスケが動いている。
一族滅亡に追い込み、イタチを利用した木の葉上層部が許せない。
復讐の念の増長と憎悪から成長する強さのため、繋がりの断ち切りと孤独に向ったサスケ。
全忍世界から敵視され木の葉からも見放されたサスケを救い出してやるぜ!
なナルトに感動する、という構図もピンと来ないというか、、違う気が。
ナルトの変人(偉人)さはそこにあるのじゃないと感じるし
強さって、
人の愛情って、
生まれながらにそこにあったもの、
持ってたのに失う痛み、
自分から断ち切る痛み、
愛情を知ったあとの孤独の恐怖に震える痛み、
やっと得たものを絶対見失いたくない痛み、
対照的に描かれ
似てるようで相対するもので
愛など互いに求めていなくて
どうしてもすれ違い埋められない、サスケとナルトのこの溝は
結局愛でしか埋められない。
その愛とはなんぞや、
というNARUTOを見届けてみたいです。
サスケのことは、
たくさん考察で書いたんですが
(http://ameblo.jp/wjreader/entry-11404987819.html
)
彼の分かりにくい優しさだと思ってます今も。
例え原作で、
「復讐の邪魔」と葬られたかのように描かれても。
でもそれは、優しさであるとも非情であるともとれるのは、
NARUTOの素晴しさだと思ってるし
だからこんなに深読みするのだと思う。。
良し悪しや善悪を語るなら、木ノ葉側も、木の葉の手でサスケを始末することを決意してることを考慮しても
その定義はできないと考えてます。
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週刊少年ジャンプのNARUTOの中の
ナルトの 役割っていうのは
特別なものだと思っています。
「こんな奴いないよ…」
「変人・異常(褒めてる方面の意味で)」
「ナルトしかムリ・ありえない」
くらいのオーラあっていいと思う。
だって主人公ですから。
ムリなんだけど、ムリではないかもしれない。。。。
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痛みを知る、分かち合う、喜びも悲しみも痛みも
逃げない、目をそむけない、向き合う、諦めない。
特別で、エリートで、でも落ちこぼれで。。
自分にもなれそうな気がして、
元気出る。
あこがれる。
ナルトがいると ホッとする。。。。
「今頃になってオレにも分かったことがある。苦しみや悲しみ…喜びも…他の誰かと分かち合うことができるのだと…」(我愛羅/28巻)
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神の巻(笑)
48巻で
ナルトは、長門と同じような悲しみも知り(師匠を失った)
大切な人たちを失い、痛みを知ることから、
悲しみを分かち合えたのかな、と思ったりしてました、わたし。
だとすれば、では、、
同じようなことを経験(痛みを知る)しないと人は理解し合えないのか?
そうではなく
同じ悲しみ痛みは分かる事はできないけれど
分かち合うことは出来る。
一緒に苦しむことは出来る。
人と分かち合うことで、喜びも悲しみも
大きく変わります。
子供は出来たら「見て」と必ず言うし
逆に悲しい現実も
自分も第三者も受け止めて
苦しみ耐え忍ばなければならない。
ファンタジーななぐさめは
現実から目を背けることになるのです。
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